■■■ 海の星はそこに在る 海賊島の岸壁に空いた天然洞窟。その内部を整え、時にくり抜いて作り上げられたアジトは、外から想像するより深く、広い。 まだ夕暮れ時だからだろうか。 見張り番や船に残る者を除き、海賊たちの大半は酒場でおおいに盛り上がっている。馴染んだ喧噪も、入り組んだ通路を奥に進めば遠ざかる。 特に、頭領や幹部の部屋が集まる辺りは人の気配が薄い。侵入者があれば発動する罠が隠されているせいか、どこか冷ややかな空気が満ちている。 その、一角。音を吸う厚手の布で区切られた部屋に、ラズロはそっと入り込んだ。いや、戻ってきたというべきか。 こもった空気からは、どこか空々しいにおいがする。それが死期の迫った生き物のまとう気配であることを、努めてラズロは見ないふりをした。 見渡した先、一足早い夜の帳が降りた部屋は、頼りない蝋燭の明かりで照らし出されている。日用品や衣服を入れる箪笥、棚からあふれて床に積み上げられた本。そして、成人男性がふたり並んで寝られるベッド。 一人分の隙間を当たり前のように空けて、その人────シグルドは眠りについていた。 起こさないように、持ってきた新しい水を机の上に置く。食事を準備しなくて正解だった。もう消化のいいスープしか飲めないのだとしても、温かいうちに食べてほしいから。 起きたら体を拭いて。きっと着替えたら疲れてしまうだろうから、食事は先の方がいい。 頭の中で算段を立てて、ラズロはシーツの上に投げ出された手に触れた。 骨と筋ばかりが浮くようになった、何十年経っても大好きな手のひら。自分よりも大きいそれに、そっと頬をすり寄せる。 起こしてしまうかもしれない。だけど年を取って寝付きが悪くなったと笑っていたシグルドは、ここ最近反応が鈍い。少し触れたくらいでは気づかないはずだ。……もう、長くはないのだろう。 そう悟ってしまうくらい、ラズロは何度も親しい人たちを見送ってきた。 ナレオを育て上げたダリオ。大海賊と謳われ、生涯海を駆けたキカ。そして亡くなる直前までシグルドと口げんかをしながら、兄のように気にかけてくれたハーヴェイ。 風の便りで、あの戦いをともにした仲間たちや、離れても友情を切らさなかった友人たちも次々と海に還ったと聞く。 年の差が十近くあることを考えれば、シグルドはだいぶ長く生きたといえるだろう。ラズロよりも年下のナレオが、体の不調を訴える老人になったのだ。うっかりしたところがあるこの人は、もしかしたら誰よりも早く去ってしまうかもしれないとさえ思っていたのだから。 頬に触れさせた手は、肌で覚えている低めの体温よりも少しだけ、冷たい。 このまま、目を覚まさなかったらどうしよう。 覚悟はしていたはずなのに、時々無性に泣きわめきたくなる。 熱くなった目を瞬かせていたからだろうか。いつの間にかシグルドが目を開けて、こちらを見ていたことに気づいていなかった。 顔にかかる髪はすっかり色が抜けてしまった。それでもなお黒く煌めく双眸が、懐かしさを灯して細められる。 「……ラズロ様」 一瞬。とうとう、意識が朦朧とし始めたのかと思った。 「シグルド────」 クールークとの戦いを終えて、シグルドとともに生きることを決めたあと。 頑なに様付けを崩さなかった──ダリオはもちろんのこと、ハーヴェイもあの調子だったので、自分くらいは礼儀を保たなければと言っていた──シグルドは、ラズロが軍主ではなくただの少年に戻った日から、呼び捨てで呼んでくれるようになった。 それからずっと、シグルドにとって自分は「ラズロ」だったのに。 「……そんな顔をしないでください。あなたに出会った頃のことを思い出していたんです」 ラズロの顔に走った恐れに気づいたのか、シグルドは安心させるように微笑んだ。 ここ数日の、抗えない衰えに絡め取られたような様子はない。むしろ、いつになく声に力があった。 「……驚かさないでください。頭領たちを呼んでこようかと迷いました」 シグルドがひとりで身を起こせなくなってから、新しい頭領や幹部、部下の海賊たちは数人ずつこの部屋を訪れた。一足早い別れの挨拶であり、最期の瞬間をふたりで迎えさせてくれようとする心遣いでもあった。 それでもいよいよとなれば、主だった面々に知らせないわけにもいかない。 想像して、声が湿ったことに気づかれたのだろう。頬に寄せていた彼の手が、意思を持って輪郭を辿った。 「なんだか、懐かしいですね」 「はい……」 彼はこの数十年、部屋の外では丁寧な喋りを崩さなかった。意外とぞんざいな素の口調をラズロに向けてくれるのは、主にベッドの中か、年老いてからはふたりきりの部屋の中でだけ。ハーヴェイだって知らないだろう。 キカだけではなくラズロも、シグルドにとって敬意を払う相手だと、常に周囲へ知らしめていたのだ。あの戦いを経験した 群島諸国連合が成立したきっかけとなるクールークとの戦い。あの折軍主として立ったラズロの名は、今や表の歴史からは消え失せている。ラズロ自身がリノ王に願ったことだった。 群島諸国では真の紋章に関する関心が低い。少し歴史をたぐれば真の紋章の存在が浮かび上がる北の大陸と違って、この海では話を聞くことすら稀だからだろう。 かつてオベルで猛威を振るったという罰の紋章について、王族レベルの伝承ですらほぼ途絶えていたのがその証左だ。────ありふれた紋章とは一線を画す、艦隊を一撃で沈める威力。反して、使うほどに命を削る代償。命尽きれば周囲の人間に乗り移っていくという悍ましさがあってさえ。 そして数多の犠牲者と同じく死ぬはずだったラズロは、なんの因果か赦し≠ニやらを得て、代わりに真の紋章が持つ不老の呪いを受けることになった。 人間には過ぎたる力と、数百年生きても変わらぬ姿。それを広めて得るものは、メリットよりもリスクの方が圧倒的に多い。それはラズロだけではなく、罰の紋章の存在を知ってなお船から降りなかった者たちの総意でもあった。 ならばオベル王という位を持ち、群島諸国連合を立ち上げ、ラズロの後ろ盾だったリノ王こそが、歴史に刻まれるにはふさわしいだろう。 ラインバッハがいつのまにか、小説の中で英雄になっていたのはともかくとして。かつての戦いを知る者が少なくなった今、事実は歴史の奥底に沈んでいくだけだ。 それでいい。元々、お飾りのリーダーだったのだから。 独立した島々、秩序の外にいる海賊、元赤月帝国の軍師。所属も利害もバラバラな集団をまとめるのには、どこにも属しておらず、紋章という切り札を持ったラズロの存在が都合よかっただけ。そう理解していたから、自分としては当然のことだった。 しかし、この恋人はそれをよしとしなかったらしい。海賊が群島諸国連合とは一線を引いていることを理由に、かつての戦いについても仲間内では遠慮なく語った。 もっとも、そのお陰で胡乱な目で見られずに済んだともいえる。幹部でもないのにキカを「キカさん」と呼び、ハーヴェイと気安く接するラズロは、どう見たって奇妙な立場だっただろうから。 そうだ。ずっと、ラズロは支えられてきた。 軍主時代と同じようには扱えないと言いつつも、「今更キカ様と呼ばれてもな。そのままでいい」と笑ったキカや、なにかにつけて構ってくれたハーヴェイ。 そしてなにより一途に慈しんでくれるシグルドのおかげで、ラズロはこの数十年を穏やかに過ごせた。ほかの海賊たちも、誰一人として姿が変わらないラズロを疎むことはなかった。新入りたちにはいっそシグルドの恋人として一目置かれていたような気がする。 本来なら不老の身を訝しまれる前に各地を転々とするか、無人島に隠棲するか。いっそこの海を離れるしかなかっただろうに。 「ラズロ。少しだけ、起こしてもらえませんか」 頼まれて、断る理由はなかった。 立ち上がるのにも手がいるようになってから、いやその前からも、シグルドの世話をラズロは譲らなかった。小間使いの経験が生かせることを、誇りに思ったこともある。 背中に手を添えて、起き上がるのを支える。 一回り自分よりも大きかったはずの体は、いつの間にか萎んでしまった。のしかかられれば重いと感じた日はすでに遠く、今のシグルドはラズロひとりで抱え上げることができる。 それが切なくて、さみしくて。 でも自分は本来、あの戦いの最後に命を落とすはずだった。失いたくないと抱きしめてくれた人を置いて、罰の紋章に食われたはずだった。共に過ごせた数十年の幸せを知ることもなく、今こうして寄り添うこともできないままで。 そう考えれば、自分ひとりで恋人の世話ができるのだから、老いない体も悪くはなかったのか。 腰と背中を支えるようにラズロの枕を重ねると、ほう、とシグルドが息を吐いた。背を伸ばして、こちらを向く。 切れ長の目はいつも通り優しさを湛えている。その奥に、真剣な光が燃えていた。 「ラズロ様。────ラズロ」 「はい」 伸ばされた手は、かすかに震えている。胸にこみ上げてくるものがあって、縋るようにラズロはその手を取った。 「あなたに、お願いがあるんです」 最後の、と。言葉にはされなかったけれど、何故か、わかった。 「なんでも言ってください。僕にできることなら……ううん、そうじゃなくても、なんだって」 本心だった。そしてクールークとの戦いが終わるまでの間に、シグルドから「あなたの願いが聞きたいんです」と何度もねだられたことを思い出した。彼も、こんな気持ちだったのだろうか。 シグルドは、微笑んで言った。 「────罰の紋章を封じるすべを、探してもらえませんか」 はっと、ラズロは目を見開いた。 「紋章をあなたが受け継がなければ、そもそも俺たちは出会わなかったのかもしれない。仮に出会えたとしても、深く知り合う機会はなかったのかもしれない。だから俺は、……あなたには申し訳ないですが、少しだけ感謝してるんです」 「シグルド……」 「でも、それはそれ、なんですよ。赦しとやらの奇跡がなければ、あの戦いで命を落としていた。本来普通に生きられたはずの日々を、不老の呪いを背負って過ごしてきた。……一生分、紋章に人生を捧げたんだ。これ以上、あなただけが犠牲になる必要はない……俺はずっと、そう思っていました」 長い指が、愛おしむようにラズロの左手を、その甲に刻まれた紋章をなぞる。 紋章への恨み言を口にしているのに、その手つきは優しい。誰よりも、ラズロごと慈しんでくれていた。 自分が紋章に人生を捧げたというのなら、一生かけて寄り添い続けてくれたのはシグルドだった。 「本当はね、この手で殺してでも連れて行きたかったんです」 冗談を言うような口調で、目だけはどこまで真摯に、シグルドは告げた。 紋章にラズロが責任を負い続ける必要はないのだと。もうこの海にも、群島諸国にも、十分に尽くしてきただろうと。 ラズロが一言、許したなら。彼はきっと、共に海に身を投げてくれただろう。 自分だとて、彼を失った未来で、後を追う想像は何度もした。夢想は甘美な罪の味がした。 ────それでも。 察したように、シグルドがふと眉を下げる。 「だけど、あなたはそれを許してくれないんでしょう?」 「……ごめんなさい」 使命感のような、崇高なものではない。 誰も来ないはずの遺跡の最奥に体ごと打ち捨てても、近づく人間がいれば紋章は乗り移ってしまう。 罰の紋章によって命を失った人だけではなく、彼ら彼女らを大事に思っていた人たちの悲しみや嘆きを、祈りを知った。 自分が持ってさえいれば、この紋章はもう誰も死なせないのだ。わかっていてなお、わがままを通せるほど、ラズロは強くなかった。 誰かがそれを優しさと呼んでくれた。だが一番大事な人を悲しませているのだから、自分は決して優しくはない。 ただ、後悔だけは、したくなかった。 状況に押し流されるままに、使用人として働き、騎士団に入り、流刑を受けて。軍主に祭り上げられ、駆け抜けた日々。 歩む道がひとつしかなくても、選択肢がどれほど少なくても。 自分の足で進むこと。それだけが、ラズロの持っていた権利だった。意地だった。あのときこうしていればよかった≠ニだけは思わないようにするためのすべだった。 だから、誰かの幸福を奪ってしまう未来に謝りながら死ぬよりは、呪いごと握りしめて生きていく。いつか運命が、自分の命を刈り取るまで。 「謝らないでください。あなたがそういう人だからこそ、俺は……」 その先を、シグルドは言葉にしなかった。目で促されるままに顔を寄せると、乾いた唇がやさしく触れる。懐かしく、いとおしい温もりだった。 味わうように目を閉じる。 少しの間、部屋には沈黙が落ちた。 やがて、ゆっくりと熱が離れていく。浅く息を吐いて、シグルドは積み上げた枕に身を預けた。 「シグルド、疲れたなら……」 話を途中で切り上げるのは心苦しいが、彼の体が一番だ。そう腰を浮かせたラズロに、シグルドは緩く首を振った。 「次に、目が覚める保証はありませんから。今……、話しておきたいんです」 言わないでほしい。思いながらも否定できなかった自分に、ラズロは唇を噛んだ。 眼差しだけで、シグルドが微笑む。 「真の紋章には計り知れない力がありますが……、近くに受け継げる人間がいなければ、新しい宿主を見つけることはできないようですね」 「オベル遺跡、ですね」 罰の紋章は、物理的にオベル遺跡に封じられているようなものだった。ええ、と肯定が返る。 「一時的にですが、真の紋章を物に封じたという記録もありました。なら、人に封じる方法だってあるかもしれない」 だから、と。低く絞り出すように言葉を紡ぐ恋人を、ラズロは呆然と見つめた。 「あなたが持ち続ける必要があるのなら、呪いごとあなた自身に封じてしまえばいい。その方法を、探してください。……残念ながら、俺には見つけ出せませんでしたが……」 いつからか、彼は手当たり次第に本を集めるようになった。戦利品に珍しい本があれば、他のお宝を打ち捨てても一番に手に取る。また海賊らしからぬ物腰を生かして、北との取引がある商人とも頻繁にやりとりしていた。 真面目な学術書だけではなく、伝説や伝承、子供向けの物語まで。ラズロ自身もそのおこぼれに預かっていたから、どれだけ手を広げて集めていたのかもよく知っている。 だけどそれは、罰の紋章を誰かに渡しても命を削らなくする方法を、あるいは不老の呪いをどうにかするすべを、調べているのだと思っていた。 ラズロ自身はとっくに受け入れて、というより諦めていたから、その心遣いこそが嬉しくて申し訳なかったのだけれど。 そうではない。そうでは、なかった。 シグルドは、紋章ごと共に眠る方法を探してくれていたのだ。ラズロ自身が、紋章を手放す罪悪感を感じなくてもいいように。 所狭しと積み上がった本を、泣きたくなるような気持ちでラズロは見渡した。 「……僕は、ずっと、……諦めて」 「そのために俺がいるんです。あなたの力になれるなら、なんだってしますよ」 深く、シグルドは息をついた。 「……正直に言うと、その紋章がこの先もついてくるのは腹立たしいんですが……あなたを悲しませたいわけじゃないから、我慢します。でも、紋章の器として生き続けることは、どうしても許せないので」 「シグルド、結構無茶なこと言ってるってわかってます……?」 思わずラズロは笑っていた。「俺は海賊ですからね、強欲なんです」とシグルドが胸を張る。 「ラズロ。あなたは、目的がなくても生きていける人だ」 「……はい」 頷く。流されるままにただ生きるのは得意だった。 目まぐるしいほどに鮮やかで、あふれんばかりに幸福だった日々を過ごしてきた今、かつてのようにいられるかはわからない。とはいえ、感情を鈍化させれば、きっとやっていけるだろう。 だけどそんな生き方をこの人は、許さない≠ニ言った。 「……あなたが幸せなら……俺以外を選んでもいいと思えたんですよ、これでも」 「僕には、シグルドだけです」 「なら、俺の願いを叶えるために、生きてくれませんか」 シグルド、と。名前を呼びたくて、でも口を開いた瞬間嗚咽が漏れると思った。その代わりに何度も、何度も頷く。 ラズロの恋人は、終わりの見えない人生に、生きていく理由をくれるという。自身が死に行こうとしている今も、未来への希望を灯してくれるという。 もう、我慢ができなかった。 弱った体に無理をさせてはいけないと思いながらも、抱き付いて、顔を埋める。 押しとどめていたはずの涙がとめどなくあふれ、冷たいにおいのする服を濡らしていく。 シグルドは、思いもよらないほど強い力で一度、抱き返してくれた。 ────この腕の中に、もう一度帰りたい。そして同じ海の底で、共に眠りたい。 紋章を受け継ぎ、その呪いを知ってから、押し込め続けて消したはずの望み。それが息を吹き返し、体の隅々まで行き渡っていくのを感じる。 シグルドに大事にされて、腕の中に抱えきれない願いでも欲張っていいのだと、許されてしまった。 だから。……いいや、言い訳だ。でも、堪えきれなくなった。 絶対に口に出してはいけないと思っていた本音が、涙と共にこぼれ落ちる。 「お願いだから、置いていかないで……っ」 老いていくシグルドも、苦しかったと知っている。自分は「一緒に逝く」とは言えなかった。 まるで子どものようだと思った。本当に幼かった頃だって、こんな振る舞いをしたことはなかったのに。 罰の紋章の継承者で、軍主だったラズロを、ただの少年に戻してくれたのはこの人だった。 縋るように見上げた先で、シグルドが申し訳なさそうに苦笑する。自分のわがままを聞きたいのだと言ってくれたときと、同じように。 「さすがに寿命ばかりはどうしようもありませんが……この海で、あなたが来てくださるのをお待ちします」 返す言葉が思いつかなくて、ラズロは骨の浮いた肩に頬を押し付けた。 「ラズロ。俺はあなたと、一日でも長く共にいたかったんです。だから、自分で言うのもなんですが、頑張ったと思いませんか?」 「はい……っ」 顔を見てもいないのに、彼が誇らしげに顔をほころばせているのがわかる。 「俺は有言実行の男ですよ。あなたと交わした約束は、絶対に破りません」 知っている。痛いほどに、知っていた。 約束をしたならば。本当にいつまでも待っていてくれるのだろう。 魂があることを、ラズロは実感として理解している。罰の紋章の中で出会った彼らは、ラズロ自身が知らないはずの、でも確かに生きていた人々だった。だから死は消滅ではない。 シグルドの体は失われてしまう。ぬくもりに触れることも、言葉を交わすこともできなくなる。 ────それでも。 彼の意思は、想いは、この先も残るのだと。ラズロと共にあるのだと、今改めて理解した。 「いつまでだって、待っていますから。キカ様やハーヴェイ、あなたのご友人方と一緒にね」 「絶対に、探します……っ。探して、それで」 甘くやさしく、シグルドが笑う。ラズロの、大好きな顔で。 「ええ。いつか、俺の元に帰ってきてください」 *** その夜から急に体調を崩したシグルドは、一日のほとんどを寝て過ごすようになった。ラズロと交わした会話に、命の残りを注ぎ込んだかのように。 そして、五日後。手を繋いで眠りについた彼は、翌朝ラズロの隣で冷たくなっていた。 自分も手伝うと言い張ったナレオが出してくれた船で、キカたちと同じ海に埋葬した。細くなった体が青に飲み込まれていくのを、ラズロは最後まで見守った。 「……シグルド」 彼を失えば、碇を失った船のように、宛もなく世界を彷徨うしかないと思っていた。 日の光をちりばめて輝く海面を、気持ちのいい海風が吹き渡っていく。空も海も、抜けるような青。 シグルドの笑顔を思い出して、ラズロは大きく深呼吸をした。 背中にはまとめた荷物を背負っている。ナレオにはだいぶ引き留められたが、明日の船で島を出るつもりだった。 ────真の紋章を、この身ごと封じるすべを探して。 不慮の事故で、あるいは殺されて終わるまでの間、少しでも長く罰の紋章を引き留めておくために生きるのではなく。 いつかこの足で彼の元へ帰ってくるために、ラズロは旅立つのだ。 自分でも不思議なくらい、清々しく、前向きな気持ちだった。 「……あなたが、好きです。ずっと」 彼と交わした約束を思い出して、ふと笑みがこぼれる。 もっと早くに言い出すことだってできただろうに。もう数日遅ければ、話もできず旅立ってしまっていたかもしれないのに。────もちろん、遺書という形でも言葉を残してくれていたけれど。 限界ぎりぎりまで胸の内にとどめていたのは、自分がいなくなった未来に意識を向けられたくなかったのだろう。 そういう、子供っぽいところのある人だった。 穏やかな物腰に騙されがちだが、独占欲も強かった。いや、海賊仲間の前では隠そうともしていなかったか。忠誠を捧げたキカに向けることはなかったが、ハーヴェイには何度愚痴られただろう。 彼をむしり取られたばかりの空隙から思い出を取り出しているのに、痛みはなかった。ただひたすらに、胸が温かかった。 シグルドは今も、ラズロを支えてくれている。 「行ってきます」 そしていつか、「ただいま」と言えたらいい。 青いばかりの空を見上げて、ラズロは微笑んだ。 夜が来るまで見えなくても。自分の導きの星は、変わらずここにあり続けるのだ。 [#] 幻水108題 051. 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